「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」
魔導カメラに向かい、抑揚を意識しながら番組のオープニング口上を始める。隣には、黒革のエプロンを身にまとったエルドリスが、いつものように無表情で立っている。
「本日の食材は、こちら」
僕が背後を指し示すと、鎖と首輪に繋がれて吠える魔物が映し出された。
「ヴァーモート・ハウンド。C級魔物です」
黒く滑らかな毛並みを持つ大型の犬型魔物で、四肢は異様に発達しており、特に後ろ脚の筋力が強い。その跳躍力は人間の身長を軽々と超え、獲物を捕らえる際には飛びかかって喉元に噛みつく。
特徴的なのは、その涙。
ヴァーモート・ハウンドは極度のストレスを受けると、フィンブリオの涙と呼ばれる特殊な分泌液を目から流す。それは極めて甘く、果実酒のような香りを持ち、料理の旨味やコクを引き立てる高級調味料として重宝される。
エルドリスが、僕と話す時間を作る対価として僕に求めた調味料だ。
「さて、今日はこのヴァーモート・ハウンドを使ってバーベキューを作ります。では、エルドリス先生、よろしくお願いします」
僕が言うと、エルドリスは厨房の端にあった長い木製のピザピールを手に取った。
「まずは、適度にストレスを与えて、フィンブリオの涙を抽出する」
ヴァーモート・ハウンドにツカツカと歩み寄り、その横腹にフルスイングの一打を見舞う。
ゴチャッ。
嫌な音がした。
「グゥウウウゥ……!」
ヴァーモート・ハウンドが低く唸り声を上げ、身を捩る。エルドリスはさらにピザピールを振るい、一撃死させそうな頭部を避けて、程度に衝撃を加え続けた。
「ナイフなどで切り傷を与えると、余計な血が流れ、肉も劣化してしまう。ゆえにフィンブリオの涙の抽出には打撃が有効だ。叩くことで筋繊維が解《ほぐ》れ、肉も柔らかくなる」
僕は吐き気を堪えて台本通りの台詞を口にする。
「先生。今回は最終的に肉も食材にするので、体へのダメージを厭《いと》わず、痛覚をわかりやすく刺激して手っ取り早く涙を抽出する、ということだと思うのですが、もしも一回限りでなく継続的に涙を抽出したい場合はどうすればいいのでしょう」
「その場合はもちろん、命に係わるダメージを与えないよう注意が必要だ。方法としては、手足を縛って逆さ吊りにする、狭い箱に入れておく、大音量の音楽を聞かせ続ける、などが考えられる。要はストレスを与えればいいんだ」
そしてまた、横たわったヴァーモート・ハウンドの腹にピザピールを振り下ろす。
僕は、舌のつけ根あたりまで瞬間的に噴き上がってきた胃液を、気力で飲み下した。
しばらくすると、魔物の瞳から透明な雫がぽたり、ぽたりと零れ落ちる。空気に触れると、わずかに青紫に色づくそれこそが、フィンブリオの涙だ。
エルドリスは素早く小瓶を取り出し、落ちてくる涙を丁寧に集める。
「十分に採取できたな。では、開こう」
ぐったりとしたヴァーモート・ハウンドの喉元にナイフを当て、下腹部まで一気に切り裂く。
血が噴き出し、鉄の匂いが調理場に充満する。魔物がくぐもった声を上げる。
「動くなよ」
エルドリスは片手で魔物の頭部を固定し、胸部にナイフを差し入れて開いていった。
ザクザクッ、ズルリ。
内臓がはみ出る。
僕は思わず顔を背けたくなったが、耐えた。いつまでも情けないままではいられない。僕と彼女は同じ目的のために最高のエンターテインメントを作り上げる同志なのだから。
僕が、何度も逆流してくる胃液を何度も飲み下す間に、エルドリスはヴァーモート・ハウンドの内臓の処理と肉の切り出しを終えた。
「さて、今回のメイン、フィンブリオの涙だ。焼く前に、これを肉に塗り込む」
エルドリスは先ほど採取した青紫色の雫を手のひらに数滴取り、串に刺しやすいサイズにカットされた肉の表面に満遍なく塗った。
「それでは、炭火でじっくり焼こう」
金串に刺した肉を、バーベキューグリルに並べる。少し経つと、脂がしたたり落ちて、火の粉が弾ける。金串を回し、表面が焦げすぎないように調整していく。
途中でフィンブリオの涙を塗り重ねながら、ゆっくりと焼き上げる。
香ばしい匂いに、僕の胃は僕の意思に反してグウゥと音《ね》を上げた。
「完成だ」
ヴァーモート・ハウンドの肉は、その身にまとった肉汁とフィンブリオの涙とで、黄金色に輝いて見える。
「わあ、美味しそうですね、先生」
ここで、僕の新しい役割が始まる。
「では、いただきます」
串をひとつ取り、焼き立ての肉にかぶりついた。
頭の中は真っ白だった。ただ使命だけを思っていた。
『明日からエンディングの前に実食の時間を取ろう。食べるのはお前だ、助手君。ダスト・スコッチを食べたときのお前の食レポは、なかなかそそるものがあった』
これも目的のためだ。僕が食べ、素晴らしい感想を言えば、画面の前の視聴者の胃はきっと刺激されることだろう。そうなれば、エルドリスが彼らのもとへ召喚される可能性も高まる。
「驚くほどジューシーですね。噛めば噛むほど脂の旨味が染み出してくる。でも決して肉は硬くなく、バーベキューを食べてるって感じのちょうど良い噛み応えです。臭みもまったくありません。むしろフルーティな風味を感じます。……美味しい」
最後は、思わず素直な言葉がこぼれた。
カメラが僕の表情を映しているのが分かる。
視聴者に、料理の美味しさをしっかりと伝える。それが今日からの僕の役目だ。
エルドリスが微笑みを浮かべ、満足そうに腕を組む。
僕と彼女は目を合わせ、実感した手応えを秘かに共有し合う。
「今日はヴァーモート・ハウンドのバーベキューでした。では材料と調理道具のおさらいと、本日のポイントです」
【材料】
養豚場の豚を噛み殺して全滅させたヴァーモート・ハウンドのフィレ肉 300グラム
フィンブリオの涙 10滴程度
【調理道具】
ピザピール(打撃用)
小瓶(フィンブリオの涙の採取用)
ナイフ(解体・調理用)
金串(肉を刺す用)
バーベキューグリル(肉を焼く用)
【ポイント】
フィンブリオの涙の採取には打撃が有効!
「それでは皆さま、また次回お会いしましょう。良い食卓を――」
◆
「エルドリス。僕の食レポ、どうでしたか?」
いつもどおり去ろうとする背に、問いかける。彼女は振り向き、無表情で答えた。
「まあまあだな」
「ええ―っ」
「お前の食レポには色気が足りない」
「色気? というと、どういう……」
「自分で考えろ、ひよっこ」
食事に色気など関係あるのか。
頭を捻りつつ僕は、彼女の後姿を見送った。
撮影が終わると、ネイヴァンは転移魔法で帝都へと帰っていった。 午前十一時。十二時のランチタイム開始まで、あと一時間。「イオルク、冷凍室から牛のヒレ肉を取ってきてくれないか」 食材の準備をしていたエルドリスに頼まれる。僕は別に『エルネット』の調理助手《アシスタント》ではないのだが、土曜日で時間もあるし、断る理由もないので手伝うことにする。 キッチンの隅には、鈍い光沢を放つ金属製のドアがある。以前にネイヴァンとこの店に不法侵入したときには、施錠されていて開かなかった。それをこじ開けようとするネイヴァンを慌てて止めたのも、今ではいい思い出だ。エルドリスには言えないが。 今は開錠されているドアを開けて、地下へと続く階段を下りていく。あの不気味な館と同じで、このレストランも魔導冷凍庫とは別に、長期保存用の冷凍室を地下に持っているという。 最下部へたどり着くと、また金属製のドアがある。それを開けた途端、氷点下の冷気が一気に流れ出てくる。 僕はヒレ肉を探して棚の間を歩いた。 あっ、と思った時にはもう、床に流れ出た水が凍っているのを踏んでいた。つるりと滑って近くの棚にぶち当たる。 ガタンッ、ガタタ「あいっ……たた」 ドサッ 棚の最上部から革袋が落ちてきた。重い音がしたが、中身は何だろうか。 卵や瓶など、割れモノだったら大変だ。 中身の無事を確かめるべく、僕は革袋を覗く。 言葉を失った。 それは――若い男の生首だった。苦悶の表情を浮かべたままカチカチに凍っている。「何をしている」
「お役人さん、最近うちの畑にモグラが出て困ってるんだ。助けてくれるかい?」 町役場の受付カウンターで書類を整理していた僕が顔を上げると、そこに立っていたのはネイヴァンだった。「また来たんですか。言っときますけど僕、午後五時まで上がれませんからね」「別に構ってくれなんて言ってないじゃあないか。『エルネット』にランチを食いに来たんだ」「エルドリスにも、また来たのかって言われますよ」「別にいいだろう。帝都から一瞬なんだ」「転移魔法使いは便利でいいですね」「ツンツンするなよ。俺の顔が見られて嬉しいだろう?」「毎週末、見てますけどね」 エルドリスは結局、レオネウスを開かなかった。 開く代わりに、気絶した僕を叩き起こして回復魔法を掛けさせた。 彼女はレオネウスをしこたま辛辣に罵倒したあと、彼の嗜虐趣味とあの夜のアブノーマルな会合を世間にバラさない代わりとして三つの条件を提示した。 ひとつ、エルドリスの罪は冤罪だったと明言して彼女を解放すること。 ふたつ、僕たち三人が皇帝である彼に刃向かったことを不問にすること。 みっつ、僕を第七監獄《グラットリエ》からどこかの町役場へ異動させること。 レオネウスは最後まで気味の悪い笑みを浮かべていたが、仕方なしといった様子で条件を飲んだ。 そして僕は今、エルドリスの故郷――セリカの町の町役場に勤めている。 エルドリスは第七監獄《グラットリエ》から釈放されたあと故郷に戻り、レストラン『エルネット』を再開した。 ネイヴァンは今も帝都で脚本家兼演出家を続けている。生きた魔モノを開く『30分クッキング』は人気調理人だったエルドリスの釈放とともに終わってしまったが、彼は新しい番組を撮り始めた
エルドリスはレオネウスへまっすぐ突き進む。途中、白仮面の男が食い止めようと割り込むが、「邪魔をするな!」 僕の魔力を受け取り強化された彼女は、ナイフの柄尻でいとも容易く殴り飛ばした。男が派手に転倒し、小石のごとく床を転がっていく。次の瞬間―― ガキィイイン! 甲高い音を立てて、ナイフと短剣の刃《やいば》が激しくかち合った。 レオネウスが、ここにきて初めて、僅かに顔をしかめる。「なるほど、これは防御一辺倒ではいられないな」 エルドリスのナイフが素早く閃き、連続して斬撃を放つ。 レオネウスは巧みに短剣を操り、襲い来る刃先を逸らしながら反撃を試みる。 刃と刃がぶつかり合って悲鳴を上げる。「答えろ。あのアンフィモルフは本当に人間だったのか」 鋭い突きを放ちながら問う。それをかわしたレオネウスが、意趣返しとばかりに深く踏み込み、「いいや、アレは私が弓の修練で捕らえた、ただの魔物だ」 突き出した短剣でエルドリスの胸元を狙う。が、彼女は上体を捻りナイフを盾にして軌道を逸らす。 反撃の刃がレオネウスの頬をかすめ、浅い切り傷から赤が一筋、焦げ茶色の肌を伝った。「では、私とリュネットは無実の罪で捕らえられたと?」 次の瞬間、エルドリスは横へ飛び、サッと姿勢を低くして足払いの奇襲を仕掛ける。 レオネウスは咄嗟に後方へ飛ぶが、追いかけるエルドリスが速い。空中の不安定な体勢のまま打ち合いとなり、エルドリスに押し込まれるように着地する。「悪かったね。他にきみを終身刑にできうる冤罪を思いつかなくて」 刃が
「飛ばしたのか……? どこへ飛ばした」 エルドリスの声音は静かだが怒気を孕んでいる。レオネウスは薄く笑みを浮かべながら答えた。「心配ないよ。殺すには惜しい人材だからね。帝都に帰ってもらっただけだ」 それを聞いて、僕はネイヴァンの無事をひとまず安堵するとともに切迫感を覚えた。命の心配はなさそうだが、これでネイヴァンは完全に戦線離脱だ。この場所の座標がわからない以上、転移魔法を操る彼であっても、もうここには戻ってこられない。 ここからはエルドリスとふたりで戦うしかない。 覚悟を胸にエルドリスに視線を移すと、レオネウスと対峙してじりじり距離を詰めようとする彼女の動きが微妙に左足を庇っていることに気づいた。怪我をしているのかもしれない。 僕はエルドリスの前方に広範囲の鉄の守護《アイアンウォード》を張った。 不意に現れた防御結界に、エルドリスが怪訝な顔で振り向く。僕はすぐに彼女に駆け寄り、その足元で跪いた。 回復魔法を発動し、彼女の左足首をオレンジ色の魔力で包み込む。「ああやっぱり、痛めてますね」「大した怪我じゃない」 怪我の度合いは魔力を通じて明白に伝わる。「いいえ、折れてます。無茶しないでください。あなたは兵士じゃないんです」「お前もだ。ネイヴァンだってそうだった。だが戦う。兵士じゃないことは、無茶をしない理由にはならない」 言い返せないまま、僕は治療を終えて立ち上がった。 エルドリスは前方にいるレオネウスから目を離さないまま、低く言った。「強化魔法を掛けてくれ」「……駄目です。さっき一度掛けています」
エルドリスがナイフを構え、皇帝レオネウスへと踏み込もうとした瞬間、白仮面の男たちが一斉に彼女の前へ立ちはだかった。「チッ……そうすんなりとは、いかないか」 疾風の如く駆け出し、正面の白仮面の男へナイフを振り下ろす。男は素早く横に身をかわし、掌底でエルドリスの手首を狙った。彼女はわずかに体を捻りながら攻撃をかわし、返す刃で男の脇腹を斬り裂く。男が痛みに呻く隙にナイフを構え直し、刃先を急所へと向ける。 その刹那、背後から別の男が拳を突き出す。「鉄の守護《アイアンウォード》!」 僕は咄嗟に防御魔法を展開して、エルドリスの背部にオレンジ色の魔法陣型の防御結界を張る。その結界が男の拳を弾いた。「爆発的な一撃《バーストブロウ》!」 別の男と入れ替わりで突如その場に現れたネイヴァンが、赤い魔力をまとった一撃を繰り出す。彼は離れた観客席にいたはずだが、戦闘開始を見て交換転移《ステップジャンプ》で援護に来たらしい。 振り抜かれた拳が、エルドリスの背後にいた男の白仮面を打ち砕く。破片が飛び散り、男の体は数メートル先へ吹き飛ばされて、床をズザザザと滑ったあと、動かなくなった。 さらに迫りくる白仮面の男たち。ネイヴァンが次々と拳を振るい、エルドリスが華麗にナイフをひらめかせる。 僕は交戦する男たちの隙を狙い、俊足の鎖《ラピッドチェイン》でひとりずつ拘束していく。ネイヴァンに白仮面ごと顔面を砕かれたり、エルドリスに急所を刺されるよりは彼らもマシだろう。彼らに直接の恨みがあるわけではない。動きを封じられればそれでいい。 ネイヴァンと背中が触れた。僕は前方の敵を睨みつけたまま呟く。「皇帝に盾突くなんて、僕たちおしまいですね。なんだか笑えてきま
観客たちが次々と席を立ち、座席横から伸びる通路の奥へと消えていく。 やがて観客席はもぬけの殻となった。 男がパチンと指を鳴らす。 するとエルドリスと僕のドレスは元の白いエプロンに戻り、それぞれが着ていた黒のコック服と看守の制服も元通りになる。 男がエルドリスに向き直った。「お疲れさま。素晴らしい調理だったよ」「それはどうも」 エルドリスが形式ばかりの会釈をする。「……やはり、きみとケーキを切りたかったな」「ただのごっこ遊びだろう」「心外だね。初めてきみの料理を食べた日から、きみのことを忘れたことはないよ」 エルドリスの目が探るように男の白仮面を見る。だが男の表情を窺い知るのは難しい。「店に来た客か?」「いいや、セリカは遠いからね。それよりも、心当たりがあるだろう?」「まどろっこしい言い方はよせ。お前は誰だ」「このケーキも絶品だった。できることなら観客たちに分けたりせず、独り占めしたいくらいだ」「質問に答えろ」「あの拘束台の上、私の目には誰が映っていたと思う?」「興味はない」「きみだよ、エルドリス。ああ、やはりきみは、生きていても死んでいても美しいな」「……変態め」「きみが言うのかい? 私ときみとの違いは、口に出して言うか言わないかの違いだけじゃないか」 男はウエディングケーキの最上段に手を伸ばした。 僕にもはっきりとソレが見えた。 男の指が、碧い光彩を持つ目玉を掴み取り、口へと運ぶ。ねっとりと、味わうように顎を動かす。「もっと早くにこうしたかった。反対する側近たち